【あとがき「非人間」化に抗する】【추가 “비인간”화에 저항한다】
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【あとがき「非人間」化に抗する】【추가 “비인간”화에 저항한다】
  • 미디어기평 기자
  • 승인 2023.11.11 10:03
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9月、東京の路上で

関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺から90年。記憶・追悼・未来のために~知らせ隊「相思華」プロジェクト。

2013年10月8日火曜日

【あとがき  「非人間」化に抗する】

具学永の墓を立てた宮澤菊次郎は、あんま師だった。

具学永(グ・ハギョン)は埼玉県寄居町に住んでいた、アメ売りの若者である。1923年9月6日深夜、隣村から押し寄せた自警団に殺害された。

私たち「知らせ隊」は、ブログに写真を掲載するために、地元の人々が建てたという彼の墓を訪れた。その際、墓の側面に「宮澤菊次郎 他有志之者」とあるのを見たが、この時点ではそれが誰なのかを知らなかった。立派な墓石を見て、私たちは、「地元の有力者なのだろうか」と首をかしげるしかなかった。

その後、ブログ中で何度も引用してきた山田昭次『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後』(創史社)に、それについて書いた部分を見つけた。読み落としていたのだ。

それによると、寄居署で具学永が虐殺された後、その遺体を引き取り、墓を建てたのは、宮澤菊次郎というあんま師だったとある。あんま師がそれほど裕福とも思われないので、「他有志之者」がそれなりに費用を出したのだろう。

目抜き通りを売り声をあげながら行き来するアメ売りと、あんま師。私たちは、彼らが出会う光景が想像できるような気がする。

寄居は荒川に面する水上交通の拠点であり、かつては宿場町でもあった。大正の頃、その目抜き通りは今よりもずっと華やかだったに違いない。おそらくはその路上で、彼らは出会った。もしかしたら、たとえば同じ下宿屋の店子だったのかもしれないが、いずれにしろ二人は、路上を行き来して生計を立てている者として、互いに身近な存在だったのだろう。

もうひとつ、あんまといえば、当時はもっぱら視覚障害者の仕事である。宮澤菊次郎は、声と手触り、体温を通じてのみ、具学永を知っていたのかもしれないとも思う。

さらに私たちは、具学永につけられた「感天愁雨信士」という戒名からも、込められた思いを受け取る。「雨」の字にも、具学永が売っていた「アメ」を読み込んだのではないかと空想する。
 

具学永さんの墓(埼玉県寄居町・正調院)

もちろん、本には「宮澤菊次郎というあんま師が具学永の遺体を引き取り、墓を建てた」としか書いていない。実際には、それ以上のことは何もわからない。だが、とにかく具学永を親しく思う誰かがいたから、その死を悼む人がいたから、あの墓がある。

「はじめに」でも書いたように、私たちがこのブログを始めるとき、もっとも大事にしたいと考えたのは、関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺について、事実を「知る」こと以上に、「感じる」ことだった。

関東大震災時に、朝鮮人たちは「不逞鮮人」と呼ばれて殺されたが、「不逞鮮人」とはそもそも、日本の植民地支配に抵抗する人々を指す言葉として当時のマスコミで多用されていたもので、震災の4年前に起こった三一独立運動も、「不逞鮮人の暴動」とされた。

外国の強権支配に怒るのは、人間として当然の感情だ。それを否定するには、相手を、その訴えに耳を傾ける必要がない、「非人間」として描く必要がある。朝鮮人が、向き合って対話をする必要がない、その能力がない相手であるかのように描くため、「嘘つき」「犯罪者」「外国の手先」等々といったあらゆる否定的なレッテルを貼り付けるキャンペーンが行われたのである。

関東大震災はそんななかで起こった。朝鮮人を「非人間」化する「不逞鮮人」というイメージが増殖し、存在そのものの否定である虐殺に帰結したのは、論理としては当然だった。

そして2013年の今、その歴史をなぞるかのように、メディアにもネットにも、「韓国」「朝鮮」と名がつくすべての人や要素の「非人間」化の嵐が吹き荒れている。そこでは、植民地支配に由来する差別感情にせっせと薪がくべられている。「中国」についてもほぼ同様と言ってよい。

それは90年代の歴史修正主義の台頭から始まったのだと思う。南京大虐殺や日本軍「慰安婦」問題など、日本の「負の歴史」とされる史実を―私たちは歴史に正負があるとは思わないが―打ち消すために、その被害者、被害国の「非人間」化が必要だったのだ。

21世紀に入ると、「非人間」化の営みは、歴史の打ち消しから、「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」という、存在の否定にまで行き着いた。しかし、「あのお婆さんたちは泣きながら訴えているが、実際には売春を強制させられたわけではない」という語りが、「くたばれ売春ババア」に行き着くのは、もともとそこに「非人間」化の論理があったからで、不思議でもなんでもない。そして、ときに「ヘイトスピーチ」に眉をしかめてみせるメディアは、毎日、毎週、「嫌韓」「嫌中」と称する「非人間」化キャンペーンを続けて、相変わらずレイシズムに栄養を与えている。

「非人間」化をすすめる勢力が恐れているのは、人々が相手を普通の人間と認めて、その声に耳を傾けることだ。そのとき、相手の「非人間」化によらなければ通用しない歴史観やイデオロギーや妄執やナルシシズムは崩壊してしまう。だからこそ彼らは、「共感」というパイプを必死にふさごうとする。人間として受け止め、考えるべき史実を、無感情な数字論争(何人死んだか)に変えてしまうのも、耳をふさぎ、共感を防ぐための手段にすぎない。

だからこそ私たちは、このブログを始めるとき、「感じる」ことを大事にしたかった。90年前の路上に確かに存在した人々のことを感じ、共感できるものにしたかった。記号としての朝鮮人や日本人ではなく、名前をもつ誰かとしての朝鮮人や中国人や日本人がそこにいたことを伝えたかったのだ。「共感」こそ、やつらが恐れるものだから。

そして、撮影に走り回り、文章をまとめていくなかで初めて気づいたのは、実は90年前の路上も、「非人間」化と共感がせめぎあう現場だったということだ。ときには同じ人間の中でそのせめぎあいがおきている。殺してしまった人々を、殺した人々が供養するのは、そういうことだろう。

私たちはとくに、宮澤菊次郎と具学永の間にあったような、小さな共感を思う。歴史問題や外交といった、一見、身近な世界からは遠くに思える次元から始まる「非人間」化が、昂じていけば、そんな誰かと誰かの共感の糸まで断ち切ってしまうことを、おぼえておきたい。

上野、両国、千歳烏山、高円寺…90年前、私たちがよく知る東京の路上が、共感と「非人間」化のせめぎあいの現場だった。結果として、数千人とも言われる人々を殺してしまった都市に、私たちは今も住んでいて、再びそのせめぎあいのなかにいる。

右翼政治家たちがけしかけ、メディアが展開する、集団ヒステリーのような「非人間」化=レイシズム・キャンペーンを、誰も疑問に思わない状況。それはどこにたどり着くのだろうか。私たちはいつまで、当たり前の共感を手放さずにいられるだろうか。90年前の9月に確かに存在した、具学永、洪其白、鄭チヨ、徳田安蔵、岩波清貞少尉、染川春彦といった人々のことを、私たちは覚えておこうと思う。

2013年10月8日
民族差別(レイシズム)への抗議行動・知らせ隊

sirasetai5595■yahoo.co.jp
(■は @ に置き換えてください)

「関東大震災時 韓国・朝鮮人殉難者追悼之碑」(墨田区八広6-31-8)
(碑文)
一九二三年 関東大震災の時、日本の軍隊・警察・流言蜚語を信じた民衆によって、多くの韓国・朝鮮人が殺害された。/東京の下町一帯でも、植民地下の故郷を離れ日本に来ていた人々が、名も知られぬまま尊い命を奪われた。/この歴史を心に刻み、犠牲者を追悼し、人権の回復と両民族の和解を願ってこの碑を建立する。
二〇〇九年九月 関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会/グループ ほうせんか

출처 : https://tokyo1923-2013.blogspot.com/2013/10/blog-post_8.html


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